2013.05.17

厳しい学校

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私は中学2年~高校3年生まで親元を離れて学校の寄宿舎で生活していた。13歳と言えば、まだ小学生に毛が生えたようなもの、子どもも勇気があるが子どもを手放す親も勇気があったと思う。

 

 

私は中学2年からの編入生だったが他の友達は中学1年から入学していた。更に私達の上の学年は小学校もあったので6歳から寮生活をしている人もいた。

 

 

 

大学まで寮に入ると小学校1年の6歳から大学卒業の22歳までの16年間もの長きに渡り親から離れていた生徒もいた。(※小学校は生徒数激減のため私の学年より閉鎖された)

 

 

“寮”や“寄宿舎”というと何だか女子大生寮のキャピキャピした雰囲気を想像する人もいるが、そんなに甘いもんじゃあなかった。

 

 

 

修道院に併設されたかなり厳しい寄宿舎生活。寄宿にいるスタッフは全て修道女(=シスター)カトリックの厳しい教えにより寄宿舎生活が営まれていた。今はその規則も緩くなってきていると小耳には挟んではいるが時代は今から40年近く前のことである。

 

 

幾つか例をあげてみよう

●「起床時刻6時30分」という決まりがあった。丁度、期末試験期間中だったので私は6時に起床して懐中電灯を付けて勉強していた。それをシスターに見つかってしまった。

 

 

「あなたは起床時刻の決まりを破りました!ここに住んでもらっては困ります。1週間、罰として寮には置いておくことが出来ないので出て行きなさい!けれども学校には休まず登校しなさい!東京から静岡まで毎日です!」と罰を下された。

 

 

 

シスターに「もう二度としないから置いてほしい」と懇願したが「あなた一人を許すと皆に起床時刻を守らなくていいことになり、規則そのものが意味がないものになる!」と厳しく突き放され、新幹線で東京から三島まで1週間、登校した。

 

 

●桃色の洗面器を準備してきた時「ピンクは華美です。白か黄色以外の色の洗面器に変えなさい!」と言われた。

 

●450円のシャンプーを使っていたら「エメロンの150円のシャンプーを使いなさい」と叱られた。

 

●ドライヤー禁止。髪は冬でも自然乾燥

 

●化粧水・乳液はメイクとみなされ、これらの使用禁止。洗ったら洗いっぱなし

 

 

●前の担任(男性)から手紙が来た時「男女交際禁止です!」と言われシスターの前で手紙を開け読まされた。

 

●食事は江戸幕府の5人組のように中1~高3までの縦割りで6人でテーブルが決められていた。

食事が残っていたら最高学年である高3の責任とされた。だから豚の脂身もキャベツの固い芯も残さず食べた。

 

●私服は2枚しか持ってはならない。後は就寝時刻まで制服着用(学校の授業時間に来ているもの。朝起きる時からずっとこれを着ている)

 

●洗濯機は200人に4台のみ。これを使うための洗濯機予約表があった。これにもれた場合は洗濯板で洗濯をする。

 

●黙想会という名の修学旅行。隠れキリシタンの町、津和野へ行ったが旅行中は私語禁止

 

●上級生・先生・シスターに「ごめんなさい」と謝ってはならない。目上の者に対しては「申し訳ございませんでした」と言う。

 

●奉仕の日に裾野駅の公衆トイレの掃除など割り当てられた。私は三島市の消防署の男性宿舎のロッカーやキッチンの掃除係だった。消防士が残した煙草のヤニを必死で取った。

 

これらはオーバーに書いている訳ではなく本当の話。同級生で我が子が女の子の場合、自分と同様に出身校に入れたがる友達も多いが、私に健常児の女の子がいたら過保護かもしれないが「ちょっと可哀想かな」と思い多分、受験はさせないと思う。

 

しかし!厳しくて辛かったことだけではない。いいことはざっとこんな感じ

○“同じ釜の飯を食った仲”として一生の友達もできた

○“贅沢は悪”の方針の元、質素で生活する感覚が身についた

○ 言葉遣いも敬語を徹底的に厳しく指導され敬語が母国語として身に付いた

○温かいご飯が出て掃除洗濯をしてもらうことが当たり前の生活からいきなり放り出されて、親の有難味を感じた

○親からの過干渉、過保護な環境から逃れることが出来た

 

 

又、私が得た特別な物もあった。私は中学2年からの転校生で友達もいない、親にも会えない、こんな中、悩みを相談できる相手がいなかった。

 

 

そんな中でスタートした日記、不思議と嫌なこと辛いことを文章に書いてしまうと誰かに聞いてもらった感覚となり心が軽くなった。

 

 

今でも自分の手元にあるが「○○のバカヤロー、死ね!くそ!」など決して口には出せない不満や怒りが汚い字で綴られている。これが今までずっと続いていて「自分の思いを文章にぶちまける」ということが私の心の拠り所となった。

 

 

だから今も文章を書くことが大好きだ。そして結果、今の自分の立ち位置がある。

 

 

私はある程度の厳しさが育つ過程では必要だと思う。学校給食でも「残さず食べろ」と指導すれば体罰と見なされる時代。

 

 

 

しかし、これはあまりにも甘すぎるのではないか!小さいうちに身につけたものは後なって多少周りに流されてぐれることもあるが、土台はぶれないと思う。エンピツらんど(当社の教室名)で幼児期に美しく整った丁寧な文字を書いていた子が、小学校に入学後、算数の問題や作文など先生がタイマーを片手に「よーい、ドン!」なんてやられると、乱暴な乱れた文字になることがある。

 

 

 

しかし、幼児期に身に付けた文字は消えることがない。出るべき所へ出れば書けるんだ。“幼児期に刻まれたものは石の上に刻まれる、大人になって身につけようとしても氷の上に刻まれるようなもの”名言だと思う。

 

 

次回のブログではこの学校で行われていた奉仕活動について書きたいと思う。

 

 

※写真は私が住んでいた静岡県裾野市にある“不二聖心女子学院”一見、ヨーロッパの田園風景のような素晴らしい環境にある学校。

 

敷地には茶畑や農園があり茶摘みや牛の世話などもしていた。中は大変厳しい躾がされる女子校であった。

 

 

今日も最後まで読んでくださり誠にありがとうございます。来週、金曜日又、ここでお会いしましょう!

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カテゴリー:正直なつぶやき

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