2013.10.01
現場での修行
私はエンピツらんどの先生として、たった週1回だが保育園に行っている。希望者から授業料を頂いて行う課外教室という形ではなく、保育の一環として文字の読み書きを教えに行っている。もう、同じ保育園に行って12年にもなる。保育園内のどの職員よりも長くそこにいる。
実は息子もこの保育園の出身。預ける保護者の身でありながら、同時に保育園のスタッフの一員でもある。今は私はもうスタッフとみなされているようで若い保育士さん達は子どもを褒めたり真剣に叱ったり、時にはあえて無視したり本来の姿を見せてくれる。まあ、保護者だったのは10年以上も前のことだから「保護者が見ている」とは思っていないのだろう。色々な悩みも打ち明けてくれる。本当に嬉しいことだ。だから、保育士が保護者に見せる顔と保育中の顔の違いなど肌で感じることが出来る。
私も学習塾という商売をしているから、営業スマイルの必要性はとっても重要視している。保護者はお迎えの時の子どもの受け渡しの先生の応対一つで、保育内容や授業内容をじっくり観察することなく先生の良い悪いを決定する。人間の脳は会って3秒~7秒という短い時間で印象を決定づけてしまう臓器だからこれも仕方のないことである。子どもを置いて後ろ髪引かれる思いで仕事に向かう親、仕事を終えてまるで恋人に会うかのように胸躍らせながら迎えに来た親に対して、ぶすくれた顔で応対しては、どんなにきめの細かい保育をしていたとしても『×ゼロ』になってしまう。安心感を持ってもらうために営業スマイルはとっても大切!
さて、その中で保護者に見せない保育士の態度でとても感心することが多々ある。第1は1歳であっても2歳であっても一人前の人として扱い、頭ごなしに叱ることなくしっかりと言い聞かせていること。第2は良い意味でほっておく子育てをしていることだ。
保育園の子どもは朝から晩まで長くそこにいるせいか親と過ごす時間が短い。そのため大人に対して気を引く行為が幼稚園の子どもより多いように思う。兄弟喧嘩のように「先生○○が私のこと叩いた」だの「先生、○○君が僕のことバカって言った」「先生、爪がさっさった」「血が出た」といちいち言ってくる。たった数十分の私の授業の間でさえこれを訴えてくる。血なんて大出血しているわけではなくうっすらとささくれから血が透けて見える程度。構ってもらいたいのと注目されたいのと子どもの心は複雑。でもいちいち取り合っていては集団の保育や指導はできない。私は目の前で状況を一部始終見ているから、そんな大騒ぎすることではないことがわかる。だから私も保育園の先生を見習って無視したり「その都度、先生に言わなくてもいいの」と取り合わないようにしている。
一人っ子など子どもが少ない分、こういう争いは必要。理不尽なことも幼児期から経験することにより逞しい精神が育っていくからだ。
まあ、その分、家に帰ってからは親に十分甘えさせることも必要だか、あまりにも子どもの言いなり、子どもの言い分を真に受ける保護者もいるのが実際。いかがなものかと思う。そこでいちいち又、保護者に納得してもらうようにしなくてはならないのも保育士の仕事。「子どもが大好きだから」これだけの理由で保育士という職業を選んでしまうと壁にぶつかる。そこには保護者という神経を使わなくてはならない存在が背後にいる現場を体験し怖気づいてしまう人もいる。大変苦労の多い職場だ。決して甘くはない。そして、これに耐えられないで退職してしまう保育士も出てしまうこともたまにある。
でも、ここで『モンスターペアレンツや問題行動を起こす子どもを担当すると教師としての腕が上がる』と前向きにとらえ頑張ってとエールを送りたい。こんな心臓に毛が生えてブログに辛辣なこと書いている50すぎたおばはん立石先生も20代の頃は保護者対応がうまく出来なくて出社拒否したり、その親子が来ると思うと下痢をしてしまうくらい繊細だった。でも、そんな経験を経て今がある。だから修行と思って何とかふんばってほしいと娘のような若い保育士を見ていていつも思う。
大変な経験をするとそれ以上のことが起こっても「あの苦労に比べたら鼻糞のような小さなトラブル」と思えるように必ずなります!
カテゴリー:正直なつぶやき
そうですネェ!
苦労を多く知っているとトラブルが起きても前向きに捉え、
対処にもつながりますヨ!!
「人の痛みを知っている」立石さん、
私も見習いマス☆
(^▽^)v