2013.10.29
障害児の親で良かったと思う瞬間
これは先日行われた息子の中学の発表会の写真。ここに整列している23人は全員知的障害がある。単なる知的障害の生徒、自閉症、注意欠陥多動性障害(AD/HD)と障害は様々。公立の中学の中にある特別支援学級の合唱の様子だ。出番は最初。長い時間、他のクラス(普通学級)の合唱を聞いて待っていられないだろうという学校の配慮からトップバッターにしたんだろう。
これは息子が小学校時代の運動会の写真。区の特別支援学級の生徒たちが一堂に会す行事。だからここに写っている子ども達は全員、障害児だ。
はっきり言って歌は下手、競技内容も今一つ、でもそんなことはどうでもいい。舞台の上で自分の定位置にたとえ数分でも立っていられる、このことだけで十分満足だ。
この感動は健常児を持った親は絶対に味わえないこと。日々の生活の中でも声変わりもしている中学生に対して「ボタンがはめられるようになった」「薬をオブラートに包まないで飲めるようになった」など本当に些細なことで嬉しくなる。永遠の4歳児を育てている感じで、心のどこかで「ずっと赤ちゃんのままでいてお母さんに感動の毎日を与えて」と思っているところがある。
息子は排尿する時、ズボンのチャックからおちんちんを出せないので、いつまでもズボンを下げてお尻丸出しでしている。「いつまでもこれではいけない、公衆トイレで変なマニアに狙われる~」と預け先の学校や学童クラブに下記のようにメールしたり連絡帳に書いた。担任からの返事。いつも温かい目で配慮してくれている。何とも幸せな子ども。
ところが健常児の親はどうだろう?友達との比較、他の子どもの物差しでいつも自分の子どもを評価する。だから「○○ちゃんは出来るのにどうしてうちの子は出来ないんだろう」と凹み子どもに否定的な言葉をかけたりする。本のp48にもばっちり書いた。
又、劇で色白の可愛い子どもが白雪姫に選ばれて、浅黒い、顔かたちが今一つの我が子が劇でヒロイン役で選ばれないと激怒する親もいる。だから幼稚園も親に迎合してヒロインが数名出演したりしている。あほな対応だ。これは本のp38に書いた。(両方とも『小学校に入る前に親がやってはいけない115のこと 中経出版』)
更に幼稚園、保育園のやっていることで疑問に思うことがある。何だかいい作品を見せることだけが第一目的になって運動会命!発表会命!になっている園だ。練習も大事だが保育がすべてそれ中心になっている。子どもも疲れ果てている。実際にこんなことがあった。足を引っ張る障害児がいた。その子が入ると下手な合奏になるのだ。だから鍵盤ハーモニカに穴を開けて吹いて吹いても音が出ないようにさせられた。運動会に休むように言われた。いったい、誰のための行事だと思っているんだろう。
子どもが普通だと色々欲が出てきてしまうのはよくわかる。でもそれって親子ともに不幸。だから、出来ていないことではなく出来ていることに目を向けて感動する心を大人が持ってほしいと日々思う。これは先日行われた息子の水泳大会の写真。予想通りビリ。だから誰もいなくなった。でも、思い返せば昔はプールサイドをうろついているだけで水に入れなかった。でも、こうして今は水に浸かっていられる、競技に参加できるだけで褒めてやりたい。
追記・・・こんな風に何故か自分の子どもの子育てに関しては私は異常にプラス思考なのだが、殊更、自分の仕事、人間関係など自分のことになると悪く悪く否定的に思ってしまう。ここを改善ししないと永遠に私は本当の幸福感は味わえないんだと思う。
カテゴリー:正直なつぶやき
本日の記事、
劣等生のレッテルを貼られた私にも他人事には思えませんヨ!
別の子と人を比べたり、先生に抗議しても問題は解決しません!!
「オンリーワンの精神」、これからは必要になってきますナ。