2013.12.06
他責の人
授業中、生徒が頻繁に席を立つ、友達にちょっかいを出す、鼻糞をほじくっている、窓の外を見て別の世界に酔いしれている、勉強が異常に出来ない。
そんな生徒を担当して「○○君は注意欠陥/多動性障害、AD/HDかもしれない・・・」「△△君は自閉症スペトクトラムのアスペルガー症候群かもしれない・・・」「学習障害児(LD児)かもしれない・・・」と児童精神科医気取りで診断したがる思い込み先生がたまにいる。
発達障害については以前ここに五話書いています→mamasola.net/?cat=74
授業を見に行くと問題は子どもではなく先生の指導力!子どもには問題がなく問題児は先生そのもの。授業がつまらないから立ち歩く、友達に鼻糞をつけたり机に突っ伏して寝ている、わかりにくい教え方をしているから学力が低下している。
人はほっておけば“他責”になる。基本、人間は“自責の人”ではない。周りに原因を求める傾向が大。7月の授業、子どもがだらけていると「暑いからだ」と原因を気温のせいにする。運動会、発表会の時期は「行事で練習続きだからやる気がないのだ」と行事に原因を求める。
又、他責の先生はこうも都合よく考える。生徒が席を離れたり私語が止まない状態。
自分が教師としての威厳もオーラも皆無で単に”お母さん先生””お友達先生”と甘く見られていてクラスがまとまらないのを「○○君の家庭は自由放任だから基本的躾ができていない」「△△君は最近、下に赤ちゃんが出来て愛情不足でふてくされているのだ。だから私の方を見ないで机に突っ伏しているんだ」と家庭に責任転嫁したりする。
もちろん、原因は他にあることもある。でも絶対に原因は1つではない。自分自身を反省しよう。授業を撮影して家で自分が生徒になって授業を受けてみるとよい。
そうすると子どもがなぜ集中しないのか直ぐにわかるだろう。“映像は語る”のだ!「ここはこうした方がいい」とアドバイスしてくれる師が横であれこれ言ってくれなても画像がビンビン教えてくれる。
さて、鬱・・・私は2013年6月11日から鬱状態である。(詳しくはここでは書けないが大事件が起こった)ずっと「なぜ心が灰色状態が続くのか・・・・」と自問自答の日々が続いている。半年も続いている、いい加減、自分でもこの状態が嫌になり一刻も早く抜け出したいと思っている。
原因究明すれば何とか抜け出せるのではないかと無駄な分析してみたりする。全くもって“他責”の私・・・
①6月から実際、様々なストレスがかかることが起こった・・・・詳しくは書けない。自分の心のとらえ方の問題なのに起こった事象に責任転嫁している。
②50歳過ぎているので更年期障害による更年期鬱・・・・歳のせいにしている。
③心よりも身体が疲れているので気持も落ちる・・・・肉体のせいにしている。
④自分に出来ないこと「明るくなれ」「前向きに」と他人に要求され、自分にもそれを要求しているので無理がきている・・・・・他者の言った言葉に責任転嫁している。
⑤息子が思春期を迎え不安定で私に暴言を吐いたりする。シングルなので自分ですべて解決しなくてはならないのできつい・・・・息子のせいにしている。勝手にシングルの道を選んだのに運命を呪っている。
⑥精神や心の病ではなく、遺伝的DNAと育てられ方により不幸を拾うマイナス思考性格からくる問題・・・・・自分の生まれ持っての気質と親の育て方のせいにしている。
でもふと思った。原因究明しても何の解決にもならないと。原因究明すると必ず他責になる。過去も含めて原因なんかどうだってよい。自分の人生なんだから、これからどうして生きていけばいいか考える方が得策だ。
子どもが立ち歩く原因を分析してもあまり意味がない。今、目の前で起こっている事象「立ち歩く」これは事実として生じている困った行動。
個性の範疇であろうと脳に障害があろうと問題行動をどう消滅させればよいのか考えればよい。すると子どもを変えようとしないで「自分の授業をもっと楽しくしよう~集中できる授業にしよう」となるのではないか。原因究明しなければ他責にならず自責になる。
原因を求めないこと。発達障害児であろうと、健常児であろうと基本は同じ。口やかましく注意するより視覚優位で目と耳両方に訴えた方がわかりやすい。
だから「授業中は座る」と貼り紙をする、整理整頓された机の上の写真を見せて「同じように並べなさい」と言えば十分効果がある。
更に診断なんて素人がしてはならない。もし「怪しいな、グレーだな」と思ったら医師ではないのだから「発達障害の疑いあり」と言わずに「専門機関に一度相談に行ってみてどうだろうか。
絶対によいアドバイスを受けることが出来ます」なんて保護者に言ってみるのがよい。
聞きかじりの知識で色々判断したり口に出したりしないこと。まず自責、自分自身を見直し、これからどうすればこの状態を抜け出すことができるのか考えた方は解決の近道である。
ついでに私は30年も教育業界にいるから20代の頃に担当していた2歳児の教え子が30歳近くになっている。
年賀状を何通かまだもらうが「今の僕があるのは立石先生のお蔭です」と書いてあったりする。私はマイナス思考、決して“おめでたい人”ではないのだが文章を見て天にも昇る気持ちになり「私のやってきたことは間違いではなかった」とすっかりうぬぼれてしまったりする。
でもよく考えてみると私のお蔭でその子が伸びたはずもない。一万分の一くらいは良い影響を与えたかもしれないが、その子がどんな人生を送りどんな大人になったのかは家庭、友達、生まれ持っての気質など様々なものが影響して形作られている。
そして「今の僕があるのは立石先生のお蔭です」と超汚い文字で書いてあると「せっかくあんだけ汗水たらして教えたのに、な~んだ!ちっともよくなっていないじゃないか!」なんて思ったりするのである。
そんな時“他責悪魔”がにょきっと顔を出して「立石先生が折角、伸ばしてやった芽をその後の先生や親、友達が摘んでしまったんよ」と全くもって都合のよいことを囁いたりする。
原因究明はやめて、どうすればよいか考えましょう!
カテゴリー:正直なつぶやき
本日のブログ、
つい、「他責」になる私にとって耳の痛い話ですヨ!
(>_<)/
原因を求めるよりまずは「自分が変わる事」が
肝心ですネ!!
(^へ^;ゞ
おはようございます。立石先生、同感です。何か大変なことがあったのですね!それで、抜け出そうと・・・偉大すぎて、私がコメントをするのも気がひけます。今まで充分頑張っていらっしゃったので、ゆっくりする時期なのでは、私など、落ち込むと、何もする気がなくなります。他責にすると自分がらくになるから少し逃げもあったり・・・その後心の修正できれば、いいのかなと「そうなんだ~」と心でつぶやき時をやりすごし元気になっていった時期がありました。
ベアさん~ありがとうございます。通常の私ならば耐えられる事象が身に起こったのですが、どうにもこうにも今回は時間がかかりすぎています。私はのんびり屋ではない「ガサ子」なんでゆっくりしていると更に不快になったりして・・・こういう時、趣味がこれと言ってないのはハンデイだなあと思ったりします。あああ、いつになったら光が見えるんでしょう。年内にはと思っていましたがそうもいきそうもありません。これからも多分、暗いブログになると思いますが懲りずに読んでくださいね~ 立石美津子