2013.12.13
期待しない子育て
人は子育ての仕方を親から一切教わることなく、出産の日を境にある日突然母親になる。ここでいう子育ての仕方とはオムツの替え方、授乳の仕方などではなく人としてどう育てるかということ。だから生後5ヶ月の子どもの親は5ヶ月、3歳児の親は親として未熟な3歳児である。
では、どうやって子育てするのか。人は無意識に自分の親からされた子育てをしている。親からあまり褒めたり認められることなく育った人は“自尊感情”が低い。だから我が子に自尊感情や自己肯定感がしっかりつく子育てが出来ずに「どうして~が出来ないの!」「なんで○○なの!」意味のない理由追求の前置詞をつけ否定形で育てている。
“虐待の連鎖”という言葉がある。親から虐待を受けた人は自分が親になっても虐待する可能性が高いということがよく言われる。私は親から虐待どころか過保護、過干渉に愛情深く育てられた。しかし、その愛情をかけ方がずれていた。”先回りして危険を回避させる、間違いを起こさないに完璧にやらせる”方法。「宿題やったの?忘れ物ないか確認した?」の完璧主義、「早く~~しなさい」といつも追い立てる。宿題忘れ、忘れ物をして痛い目にあうことは成長のチャンスなのにそれをさせない。ドブに落ちないように目を光らせる。ドブに落とせばいいのに・・・
物事の全てを”正しいか、正しくないか”の基準で決めつける。私が最初に覚えた諺は”朱に交われば赤くなる”だ。母から「いい友達と付き合わないとあなた自身も悪い子になるのよ。諺で”朱に交われば赤くなる”って言うのよ」とインプットされた。
更に「いい学校に入らなければならない」「ナンバーワンでなくてはならない」と優秀な子と比較される子育てだった。私は中学2年から親元を離れて寄宿舎生活をしていたが、時既に遅し!寄宿では生徒を管理するシスター(修道女)も特に「勉強しなさい」「早く~しなさい」とは言わない。寄宿舎のタイムスケジュールに合わせたチャイムがなりそれに沿って自主的に子ども達は行動する。
けれども、こうるさく言う親がそばにいなくなったから解放された訳ではない。親の声は内面化され私の心に刷り込まれてしまっていた。今度は自分自身に対してストイックに親がしていたように自分を縛りつけた。我が心の対して「人よりも1㎜でも前に出なくてはならない」という姿勢が13歳の時点で完全に身についてしまっていた。ファイター、努力の人。結果“頑張る子、成績はよい”だから先生にはかなり好かれていた。このことが更に”頑張ることは価値がある、努力により必ず報われる”という誤った感覚を付けさせてしまった。他責の私は先生も私の否定形の性格作りに加担したと考えてしまう。ブログ「他責の人」→tateishi-mitsuko.com/blog/%E6%AD%A3%E7%9B%B4%E3%81%AA%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%82%84%E3%81%8D/20131206010053.html
さて、私は38歳で人の子の親になった。ご多分に漏れず親からの子育ての仕方が連鎖した。実際やったこと。妊娠中から胎児に絵本や日本の古典を読み聞かせ、モーツワルとのCDをバンバンお腹に聞かせていた。まだ耳は聞こえていない妊娠9週目のまだ数ミリしかない胎児からスタートした。切迫流産しかけて家でトイレ以外に立たない期間も胎教だけは鬼のようにやっていた。この写真でチンチンがはっきり写り男の子とわかると「男児は将来、家族を養うのだから優秀に育てなくてはならない」と更に加速した。
出産時、病院にも絵本、CD、漢字カードを持ち込んだ。分娩室にも持ち込んだ。家に戻ってからは更に過激に次の写真のように漢字カードを毎日見せた。
(「眉毛!」と漢字カードを見せてる。生後21日目)
(福沢諭吉・・・学問ノススメを読み聞かせている・・・生後2ヶ月)
(散乱するクラッシクCD・・・・生後1ヶ月)
私は算数が苦手だったので「私のような苦労をさせたくはない」という、これまた「自分が果たせなかった夢を我が子に期待する」という全くもっての誤りを犯しドッツカードを購入した。算数脳を作るには1歳の誕生日を迎えるまでにドッツカードを毎日見せなくてはならない。ドッツカードとは無秩序にならぶ赤い点が1~100まである100枚のカードを赤ちゃんに見せるのである。すると100枚を見分けられるようになるのだ。タイムリミットは12ヶ月後の1歳の誕生日を迎えるまでだった。必死だった。
仕事で絵本の読み聞かせをしてもらわず読書の習慣がなく国語力低下して苦労している小学生を大勢見てきていたので0歳の我が子に「一日30冊の絵本の読み聞かせをする!」というノルマを課した。30冊読むとざっと1時間30分はかかる。本当にこれを私は実行していたのだ。23歳の時から七田式だの石井式漢字教育だの仕事としてずっと打ち込んできたので早期教育に関しては膨大な知識もあることもこれに拍車をかけてしまった。
私は強迫的気質が強いから完璧主義を貫いた。頭のどこかに「誰よりも優秀な人間に育てたい」という強い思いがずっと私を支配していた。
こんな日々が約1年半続いた。しかし、これだけやっても息子は言葉が出ない、言葉どころか「あ~う~」の喃語も一切出ない。声を聞いたことがなかった。(声を聞くことが出来たのは小学校に入学する直前の5歳になってから)よその子どもより明らかに発達が異常。人見知りもしない代わりに人があやしても無視、抱けば棒のようである。チンパンジーでもしがみつくのに息子は一切そんなそぶりも見せない。人間を拒否する訳でも受け入れるわけでもなく、まるで石ころや草のように扱う、人を人として捉えていない無関心な態度「何だかこの赤ちゃん、少しおかしい・・・」と気付き病院に連れて行った。すると「知的障害のある自閉症です!」と言われた。ガーン!薄々は予測していたが雷に打たれてずっと病院の待合室で号泣した。看護師がそばに来て背中をさすってくれたが「可愛いと思えない!もう育てたくない!」と叫んでいた。
その時の気持ちについては紙面の関係上避けるが、ここの五話に歴史は書いたので興味がある人は読んでほしい。mamasola.net/?p=5662
障害を即効受け入れた訳ではないが、診断を受けて6ヶ月経過した頃より運命を受け入れた。そして方向転換、私の座右の銘である“君子は豹変す”で「ああ、もう、や~めた!もともと、出来損ない、不良品なんだから期待してもダメだ~」と完全にサジを投げてしまった”不良品”“出来損ない”なんて自分の子どもに対して思う親は悪い親かもしれないが、期待していただけにそう思うのは自然の感情であった。障害児の親だったら絶対にそう思う瞬間があるはずである。元々、完璧主義で強迫的気質の高い私は”白か黒か“”ゼロか100か”オールオアナッシング””針が触れる性格”だから「少しだけでも期待しよう」とは思わず完全に諦めモードに切り替わった。
でも、障害を持って生まれてきたことは息子にとっては本当にラッキーなことだった。健常の脳で生まれてきたら大変な辛い人生を送ることになっていただろう。アスペルガー症候群などのグレーゾーンの子どもあっても私は引っ張って頑張らせ本人を苦しめていただろう。そして今頃、二次障害に苦しんでいたに違いない。
“期待しない”ということはマイナスのことではない。“期待しない”“頑張らせない”“励まさない”ことはとても重要なこと。完璧主義ではなくテキトーに育てればいい。将来のために毎日、特訓のように厳しい療育をしたり、努力・我慢させる親もいるが、幸せな将来は楽しい毎日の積み重ねで作られていく。要求が大きく辛い毎日を送らせると真逆な結果になることを私は知っている。経済的になに不自由ない生活をしていても人生で何一つ喜びを感じて生きられない人がいるが、この要因は自己肯定感がないことである。
息子の親(私のこと)は出来損ないをあるがまま受け入れ無理に引っ張らない。だから子どもは毎日楽しく過ごすことが出来てラッキーである。
あれからずっと同じような教育の仕事をしているが、読み書き算数を教えていても決して完璧を求めはしない。文字で“止め・跳ね・払い”が出来ておらずお化けのような文字を書いても〇をしてやる。書けているかどうかテストなんかしない。「1+1=3」と回答しても「数字がきれいに書けているね。答えが間違ってしまっているのが惜しいね」なんて声をかけたりしている。保護者から非難されても、ここんとこはぶれないで自分の生徒には指導していきたいと思っている。
万が一、健常児が私のお腹に宿っていたら私はきっと史上最悪の母親になっていたのだと思う。障害児が宿ったのは偶然ではなく神様が計画的に仕組んだことなんだ。「これではいけない、ちょいとここいらで悪いこの家系の子育てを中断させなくてはいけない」と私に障害児を授けたと今では確信している。負のスパイラル、負の遺産をきっぱりここで切るためだったのだ。
ついこの間「母親が重い」母娘クライシスについてNHKの特報首都圏で放送していた。期待し過ぎた結果が摂食障害、親子断絶という悲惨な結末を迎えるという内容だった。
下記は最近読んだ本。子どもを窒息させてしまう親について沢山書かれている。心に突き刺さる文章が多々ある。「●」は自分の親に対してのチェック項目
●世の中のことを「正しい・正しくない」で決めつける
●清潔であること、秩序正しいこと、物事の詳細、規則、スケジュールなどに対して強迫観念的に異常ににうるさかった
●完全主義、ストイック、あるいはいつも何かに追い立てられて行動しているように見えた
母親になって1年生、2年生、3年生の未熟な親達はそこまで想定はしないでただがむしゃらに自分がされた子育てをしている。しかし、人生は連続!幼児期に親からされたことは生涯残り絶対に消すことはできずに本人を苦しめることになる。後になって悔やんでも時間は巻き戻しが出来ない。だからどうぞ「期待しない子育て」をしてくださいと声を大にして言いたい。そして、これから赤ちゃんを産んだ人には「おめでとうございます。この子はあなたの所有物ではありません。あなたと違う人間です。これだけを頭の隅に入れて子育てというこの世で一番、重要な仕事に取り組んでください」とカードを贈りたい。
追記・・・0歳の時「算数脳を作る」とドッツカードを必死でやっていたが中学生の息子は買い物さえ出来ない。3+4=??である。元気よく「8」と答えたりする。「答え違うけど声がいいね」と私は褒める。5歳まで言葉どころか音さえも口から出せなかったのだから素晴らしい成長である。親亡き後の自立のために下記のようにやってはいるがこれも1分くらいやるだけで無理強いはしていない。だから毎日楽しそうに暮らしている。
カテゴリー:正直なつぶやき
コメント(5)
熱心な親は子供に期待するあまり、
英才教育を施してしまうケースが多々あるんですネェ!
そういう事をするよりは「子供をどのように幸せにするか」を考える必要がありますナ!!
(-_-;)/
涙が出ました。
自分も完璧主義者の母親です。子どもが自閉症スペクトラムと診断されました。
先日、してはいけない115のこと、を読んだ後でした。
そこから、悲観的になっていたり、苦しかったり毎日よくわからない状態で居ます。
そして、良い方向に行ってほしくて毎日訓練してしまっています。
立石さんの著書をもっと読んで、子どもに対しての意識を変えられるようにしていきたい。
今後も、立石さんの言葉をしっかり頭に焼き付けていきたいと思います。
にまる様、コメントありがとうございました。「115」は読後感の悪い親を責める内容で私は反省しているんですよ。実は私も息子が自閉症と診断されても小学校1年生まではストイックに療育!療育とやっていましたが、ある時から辞めました。毎日の楽しい家や学校や学童クラブでの生活が療育そのものになっていると気が付いたからです。高額なお金はらって時間を犠牲にしなくてもいいんですよ。完璧主義のお母さんは療育にもストイックになってしまいますからね~気楽に育てましょう。それからママ自身の幸せも大事にしてくださいね!
立石さま、1年生までのストイックな療育をやめられたきっかけは、気づきだけでしたか?
私にもいつかはその気付きが来るのかな…
冷静で文章を読んでいるときと、我が子と共に過ごし
療育の事で頭がいっぱいになっているときでは、また脳が違っているようにさえ感じています。
「長所を伸ばす」に重きを置くことで、頑張らせてしまうことをなんとなく強要してるのかもしれません。
個性の尊重、意識していても実際は難しい事ですね。
「115のこと」は、すっぱりした言葉で言いきっておられて大変素晴らしい本だと思いました。
16歳の娘もいますが、まさに立石さんの書いてあることは大きくなっていくにあたり、必須な事ばかりだな~と感じました。
今後も愛読させていただきますので、執筆応援させていただきます。
にまる様、療育を辞めるきっかけは本人に笑顔がなかったからですよ、療育だって楽しくないと身につかないと思ったからです。本人の将来のために苦痛の訓練なんて本末転倒ですからね!出来るだけ自立させよう、社会に適応させようとすること自体?とも思ったりしました。今のまんまでいいんだよ~あるがままでって感じかな!お金をマスターさせようと必死になっていた私が面談で最近担任から言われたことをここに以前アップしました。お読みくださいね~とてもよい担任に当たりました!療育と小学校お受験塾と似ているところがあると私は思います。そこにどっぷりつかると大切な物を見失うというかそんな気がします。これからもブログためになるかどうかわかりませんが、読んでくださいね!
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