2013.12.24
ビリでも一番になりたい
私は自己肯定感がない、自尊感情も殆どない。原因は何度もブログの中てチラつかせているが、褒められたり認められる経験がないまま成長してしまったからだ。自分自身の問題なのに親の育て方のせいにしている“他責の私”。
(他責の私については前にブログで書いています→tateishi-mitsuko.com/blog/%E6%AD%A3%E7%9B%B4%E3%81%AA%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%82%84%E3%81%8D/20131206010053.html
でも子どもには責任はなく、その子どもの思考癖を形成したのは紛れもなく育てた親なのである。最近、読んだ“不幸にする親”“毒になる親”で気付かされた。でも親ばかりを責めてはいけない。以下のように書いてあった。
『ここで一つ忘れてはならないのは、親にもまたその親がいるということだ。“毒になる親”というのは、その親も又“毒になる親”だったのである。かくして、そこには“毒になる家系”とでもいえるものが出来上がってしまっているのである・・・・中略・・・・・“毒になる家系”においては後からくる世代に次々と被害が伝えられ毒素は世代から世代へ伝わっていく性質を持っている。そういう訳だから、もしあなたの親が毒になる親だったとしてもそれらの問題は彼らが初めて作り出したものではないことを忘れてはならない。その前からずっと続いてきたネガティブな感情、ネガティブな家のルール、ネガティブな家族内部の人間関係、ネガティブな考え方など何世代にも渡って伝わり、次々に積み上げられた結果なのである。この流れは誰かがどこかで意識的に止めない限り途切れることはない』(毒になる親 講談社文庫 p176)
いわゆる“問題児”と言う子どもがいる。“問題児”という言葉は子どもの人格そのものを否定していることになるから“問題行動を起こす子ども”とでも言っておこう。でも自分の手が痴漢行為をした時「私は悪くありません。この手が痴漢と言う悪い行動を勝手にしたのです」と言い訳しているようなものだから“問題児”という言い方でもよいと思っている。言葉をいじくっても本質的なことは変わらない。
先生としてクラスを担当している中で必ず一定の割合でこの“問題児”が入ってくる。授業中寝ている、他のことをしている、関係ない物をいじくっている程度なら周りに迷惑をかけている訳ではないからまだいいのだか、隣の子のプリントを破る、教室から脱走する、鼻糞を周りの子どもの服に付けるなど始まると授業が成り立たない。
「何をしているんですか!」と怒鳴りたいところだが、私はこういう子どもを見るとまるで昔の自分を見ているようで正統派教師の言葉かげが出来なくなってしまう。可哀想に思うのだ。こんなにまでして私の注意を引きたいのだ、叱られてもいいから構ってほしい心の叫びが問題行動として表れているからだ。
私は幼児の頃、渋谷に住んでいた。住まいの場所からすると渋谷区の普通の公立小学校に自動的に入学となるのだが、母はよりよい学校を目指して越境入学をさせた。有名私立小学校受験はしなかった。その理由はおそらく私が田園調布双葉幼稚園(雅子さまが出た有名私立幼稚園)のお受験に失敗した苦い経験からだったと思う。公立の中で最高の学校ということで千代田区の国会議事堂の近くあった麹町小学校・番町小学校・永田町小学校の御三家の中から永田町小学校を選んだ。校章まで国会議事堂のマークだった。私は6歳の私は渋谷から千代田区まで毎日バスを使って遠くの小学校まで通学した。
入学したら予想通り、周りが出来る子ども達だから最低ラインの私、12月生まれで身体も小さく頭も悪いし運動能力も低い出来損ないの私は入学式直後から落ちこぼれた。どうあがいても周りには追い付かない。給食も食べられず5時間目までずっと机の上に干からびたパンと牛乳が置いてあった。
算数の時間、50問ある計算問題を出来た子どもから先生の教卓の近くまで行き並ぶ。その時、列を作って立ったまま待たされている子ども達は私語をする。すると先生が「まだ問題に頑張って取り組んでいるお友達がいるのだから静かにしなさい!」と叱った。あほな私はこれを褒め言葉と勘違いして、全部書き終えていても最後まで絶対に席を立たなかった。成功しないことで認めてもらおうとしていた。一番にはなれないから一番ビリになろうしたのである。ビリになるのは実に簡単なこと。最後まで席を立たないで全部、間違った答えを書けばいいのだ。これは出来損ないの私にも簡単に出来ることだった。
中学になっても同じことをしていた。数学は能力別クラス編成で上からAクラス・Bクラス・Cクラスだった。年3回ある学期ごとのテストでクラス替えが行われる。私は最初Aクラスにいたが高度な授業がわからない。頑張っても頑張っても追いつかず、褒められない認められない、昔の記憶がよみがえり次の試験の時、わざと不正解の答えを書いてクラスを落とすことを計画した。Bクラスに落ちる計画だったが、なんとBクラスも通り越し一気にCクラスに転落した。でもとても居心地が良かった。Cクラスに在籍しているということは成績表にも悪く書かれ大学推薦をもらえないかもしれないのはわかっていたが、ともかく褒めてもらいたい、認めてもらいたい一心。自分の学力が変えられなくても環境を変えることで快が得られることを知っていたからだ。
こんな自分の経験から出来が悪い子、先生の注意を引きたい子どもの気持ちが痛いほど私にはわかる。だから正統派先生にはなれないで「字汚いけど服にアイロンかかっていて素敵だね」「字は今一つだけどいい筆箱使っているねえ・・・」なんて訳の分からない褒め方をしている私である。
最後に
大学に入学して体育会ゴルフ部に入った。周りは中学や高校時代からゴルフの英才教育を受けているメンバー。だから私はカスのカス。打ちっぱなしで練習していても声をかけてもらえるのはリーグ戦に出場するレギュラーメンバーだけという厳しい世界だった。
さて、コースに出ての内部のラウンド。だから私はここでもビリを狙った。ワンラウンドで100叩きするからビリに決まっている。でも“ブービー賞は元々の語源は最下位という意味だが優勝者より豪華な賞品をもらえることもあり故意にビリを狙う者を防ぐためビリから二番目をブービー賞としている”ことを知らなかった。ビリになれば最下位で一番になれると勘違いしていた。だからビリでも何の賞賛もなくショックを受けたことを思い出す。
ああ、なかなか自己肯定感の低い私は皆が明るく幸せになれるブログを書けないな。読み返してみて何だか暗い気持ちになる。「子育てハッピイなんちゃら」「幸せのどうのこうの」なんていう内容をどうあがいても書けない自分は著者として短命かな・・・と思ったりしている。自分を犠牲者だと思っている他責の私を何とか来年は変えていかなくてはならないと新年を前に思う。
カテゴリー:正直なつぶやき
コメント(1)
実は私も小学生の頃、
立石さんと同じような行動をとりました!
先生に構ってほしいので、小テストをわざとわからないフリをして間違えたのを今でも記憶に残っていマス!!
今回のブログはまるで昔の自分の事のようで懐かしく感じました。
暗い明るいは抜きにして素直な文章を綴っていただきたいです☆
(^~^)/