2014.01.10
痩せれば綺麗になる 今太いのに!
「私だって痩せれば綺麗になるのよ!」
「僕だって本当はやる気を出せばこれくらいは出来るんだ」
「あなたと同じ境遇だったら私だって今頃もっといい旦那と巡り合えていたかもしれない」
「私立に行かせている人のこと考えればこんな塾代、安いもんよ!」
ああ負け惜しみの連呼!心の中で「今、太っていてあんまし綺麗ではない」「無気力だから出来ていない」「チャンスを拾わず幸運でないのに何言ってんの?」「実際は私立に合格していないんでしょ」と小さい声で叫びたい。“言うは易し行うは難し“で言葉でいうのは実に簡単~!
厚揚げをそのまんま食べる意志の強さが大事!
“昔取った杵柄”ばかり自慢げに話すお爺さん、お婆さんもいる。年をとっていない40代後半でも昔バリバリ働いていた頃のことを必ず話題に出したり、「こんなブヨブヨの俺だけど昔はもっと痩せていて精悍で女にもてたんだよ~」と毎回おんなじ話に終始する人もいる。「またその話かよ~」と思うが、人間関係を悪くしたくないから黙ってニコニコして聞いている私・・・本人も私に同じ話をしていることに気が付いていない。途中で自分で気が付いて“しまった~!”という表情をする人もいるが最後まで全く気が付かない人も多い。
だいたい同一人物に同じ話題を繰り返し話すのは不特定多数に話しているからではないだろうか?自分でも誰に話して誰にはまだ話していないか正確に覚えていないから、同じ人に同じ話をしたりするんだと思う。
今日のテーマには全く関係がないが自分の家族のことをよく他人に話す人は家族関係がうまく行っている証拠のような気もする。気もするのではなく本当にそう思う。「うちの息子は元気ばかりが取り柄で頭スッカラカンなのよ~!」「主人たら結構細かくて私なんか料理の手を抜けないのよ~!」と悩みを言っているようで、実は自慢だったりのろけだったりする。私も息子の話をよく人にしたりブログに書いたりするが私にとっては最高の自慢の可愛い子どもだからである。
本当に家族で不幸な目にあっている人は話題にさえ出さない。下手に他人に侵入されるのが困るからだ。私の母も私達姉妹が色々、学校で不適応を起こして問題行動が盛んな時期があったが、親戚の集まりがあってもママ友達にあっても絶対に家族の話をしていなかった。「あなた達の話は絶対に話題にしたくない」とよく言っていたものだ。
さて、話を戻そう。共通点は皆さん今を生きていないこと。果たせなかった未来の夢を負け惜しみのように仮の話して語ってみたり、昔の輝いていた過去の時代にばかり目が行っている。
学生時代 キリスト教の宗教の時間に「過去・現在・未来」の棒状のものを自由に書かされたことがある。こんな感じ
今の自分の心が占める配分を書かされた。私は未来が一番広い面積を占めた。担当講師のシスター(修道女)からは「“現在”の占める割合が一番多い人が精神的に幸福感が高いのです。キリストも“明日のパンを患うな、今日1日を生きよ”と言っています」とコンコンと言われた。マタイだったかルカだったかコリント人への手紙だったかすっかり忘れてしまったが聖書の福音書に書いてあったっけ!?
私の心はどこに重点があるか学生時代に戻って分析してみた。過去にもあまり囚われていないし、未来の起こってもいないことをあれこれ悪く想定して悩むこともあまりない。じゃあ、精神的に幸福感に満たされていて健康かというと全くそうではない。今の自分があまり好きでなく悩んでいる。だがら“現在”で思い悩むことが多い。でも、現在は過去の連続の上で完成されてしまっているもの。過去はどんなにお金を積んでも巻き戻してやり直せない。だから今を精一杯生き明るい未来を構築しないとダメなんりゃあ~
私の口癖は「5000万準備すれば今の頭脳のままで10年前に戻らせてあげると神様が言ったら夜の商売でも何でもして5000万円貯める!」というもの。20年前に戻るのに1億必要であればどうやってこの額を得るか!でも何とかしたい。テレビの“世にも奇妙な物語”ではないが銀行強盗してしまうかもしれない。
32歳起業した頃に今の脳のまま戻ることがもし出来たら、今の会社は年商30億くらいの会社になっているかもしれない。でも、これって「私だって痩せれば綺麗になる」と言っている人と同じ穴のムジナ状態。ブログを書きながら反省しました。
カテゴリー:正直なつぶやき
コメント(1)
昔の自分に後悔しても時は戻らないからまさに〝負け惜しみ〟ですよネ!
過去にとらわれるより「今」を大事にせねばいけませんナ!!
(^^ゞ