2014.06.06
子ども置き去り事件
またもやネグレクトによる幼児虐待事件
厚木市で起きた事件。中学に入学していない生徒の発見。既に7年前に親の育児放棄により死亡していた。白骨化した幼児がアパートに残されていた。生きていれば中学1年生・・・そこはゴミ屋敷。外からわからないように目張りもされていた。トラック2台分の2トンのごみが押収された。
「厚木市幼児白骨化遺棄致死事件」のニュースはこちら↓
4年前にも大阪で母親から置き去りにされた2児が餓死した。
「大阪2児餓死」のニュースはこちら↓
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA2%E5%85%90%E9%A4%93%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
畜生以下の親、動物は本能として絶対に育児放棄はしない。本能をなくしてしまった人間。ニュースでこの事件を見た時「映画 リング」の山村貞子のことを思い出した。
映画のあらすじはこちら↓
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
確か、貞子は生きたまま井戸にほおりこまれて、7日間生きていた・・井戸には爪痕がくっきり残っていたというホラー映画・・・
実際、家に放置された子ども達は現実に貞子のような地獄を味わった。家は汚物でまみれ、2児は飢えに耐えかねて骨と皮状態で死亡。胃からは段ボールまで出てきたという。
厚木の事件も大阪の事件も子どもよりも異性に走ったことが共通している。また、子どもが死んでからも「まだ子どもを愛している」「一日たりとも子どものことを忘れたことはない」と言っているという。なんて身勝手な発言・・・・・
こういう事件が起こるとマスコミは「児童相談所が踏み込んで調べていたらこんな悲惨なことにはならなかった」「地域社会の希薄さ・無関心」などをしきりに議論する。でも、もっと根本を解決しなくてはこのような痛ましい事件はなくならないとコメンテーターの議論風景を見て思う。
根本とは社会の問題にすり替えるのではなく、母性そのものについて。(母性が本能であるかどうか又、議論されそうだが・・・・)
動物的本能をどうしたら喪失しないで済むか・・また犬猫でも持っている本能を何故、失ってしまったのか・・・・
ついこの間も、埼玉県でネット上の仲介サイトを通じてベビーシッターに預けた2歳男児が、シッターの虐待により亡くなる事件が起きたばかり・・・これは預けた母親が被害者なのだが、見も知らずの男に幼い二児を預けた母親の行動に私は?である。
大沢あかねがテレビで「私は見ず知らずの人に、それもその人の自宅で預かってもらうことはまず理解できません」の発言をしてブログが炎上した。
この事件が起きた時も、保育所の不足、保育士不足がマスコミで議論される中、大沢あかねさんは大事な部分を突いた発言をしていると私は思った。
ネット上に乱立するベビーシッターマッチングサイト。マッチングする会社はただつなぐだけの役割、責任は持たないという。「互いに勝手にやってください」って感じ。
預かるシッター側も事務所も持たない・・資格もない。(元々、ベビーシッターするのに保育士の資格はいらないのだが)だから安価。シッター料金、普通1時間1500円~3000円するのに980円だったりする。働かなくてはならない親にとっては手を出したくなる金額設定
つい、利用者側は楽天やアマゾンで物を買う感覚でポチを押す。
まだ0歳~3歳の子ども。食事の仕方、昼寝の姿勢、オムツを替える頻度みんな違う。いきなり見知らぬ他人の家に預けられて、いつもとは違う対応をされる。子どものストレス、不安感は相当なもの・・・親にとってはたった6時間~10時間のことかもしれないが子どもにとっては大人の何日間にも匹敵するくらい永遠に続く長い不安の時間
ある人が「この母親は子どもを家に置いたまま仕事に出ないで、預けようとしているだけまだいい。愛情がある!」と私に言った。しかし、私はそうは思えない。どっちがましなのかなどの比較の問題ではない。
さて、この事件。
何故こうなったのか・・・児童相談所を責める前に、どうしてこんな動物以下の親に変貌してしまったのか原因究明したらどうだろうか・・・その親が生まれた時からどうやって育てられたか背景を知ることが必要ではないか・・・・
だから、この事件のルポの本も読んだ。「ルポ 虐待・・・大阪二児置き去り事件」
やはりこの母親自身が育った環境が生い立ちが大きく影響しているように思った。
また、凶悪事件がある度にその生い立ちを取材して次のような本も出る。
そんな中、「累犯障害者」の本も子育てにダイレクトに関係しないが、とっても考えさせられる本。障害者の犯罪について書かれたもの
自分が見ている、この世の中というのは、ほんの一部であるのだということ、
社会と言うのが何層にも分かれたような世界であること、福祉や司法と言うのがなんと健常者視点なものであるのかということ…を教えてくれる一冊
詳しくは以前のブログ「無知の悲劇」で書いた こちら↓
ネグレクトも虐待だが異常な過干渉も虐待の一つ。夢中で子育てしている時、少しずつ間違った方向へ進んでいく・・・
まさか「この子が将来犯罪者になる」「金属バット事件のように両親とも我が子に殺される」とはまさか思っていないだろう。でも、そうなる危険性をはらむ子育てをしている人もいる。
この手の本には「どう育てればこんな犯人に我が子がならないか」の大きなヒントが隠されているように思う。
ちょっとレジに持っていくのは気が引ける本、電車で本屋の表紙のカバーをつけてもらわないまま立ち読みするのは勇気がいる本。でも、「褒めて育てよ」系のマイルド、ほんわかな甘ったるい子育て本を読むより、ずっと親としての見識を深めことが出来るのでよいと思うのでありました~
カテゴリー:正直なつぶやき
うーん!
痛ましい事件が最近は続いていますなぁ!!
これは世の中の「個人主義」が生み出した惨劇なのかもしれませんネ!
今回、立石先生がご紹介の書籍はそんな世の中の「負の部分」を映し出す鏡であるかのように感じるので、一読する必要がありますヨ!!
三つ子の魂百までも。その人の基本的人格は小さい時に経験した事が元になっているのだと思う。
家庭と学校、子供の教育にどちらも大切だと思うけど、学校に入る以前の家庭での経験によって基本的人格はもう出来てしまうのではないか。
勿論、その後の体験や学習する事で多少は変わり得るのだろうけど。
仕事の仕方、ご飯の食べ方、お金に対する考え方…などなど。 やっぱり人(他人)は変えられない。自分と同じ人なんて居ないのだ。友達だって、部下だって、配偶者だって…そうですね。