2021.05.21
やぶ医者でなかった、M医師
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※ブログなのであくまでも私個人の意見です
気分を害する方は→批判しないで、読まないようにしてください
息子は2歳2か月のとき自閉症の診断を受けた。
成育医療センターの宮尾益知先生から「この子は間違いなく自閉症です!」とはっきりと言われ、私は怒り狂った。
「やぶ医者だ!」と嫌い、看護師に「担当医を変えてくれ」とまで迫った。
怒り狂ったけれども…
宮尾先生の口から出た言葉が、棘のようにずっと刺さっていた。
思い返せばあのとき、歯に衣着せずはっきりと言ってもらえたので遠回りせずに済んだ。
少しずつ前に進むことが出来た。
「長い目で見ましょう」
「個性の一つですから」
などと曖昧な言葉をいう医師や支援者がいるが…
親にしてみれば「癌かもしれないけれど、何もしないで様子を見ましょう」と言われているようなもの
「まだ悩み苦しみなさい」と追い返すようなものである。
だから、はっきりと伝えて背中を押してほしい。
この記事参考になった。大共感!
梅崎正直さんヨミドクター編集長でお子さんは自閉症
記事一覧も心に響きます。
「個性ではない。障害です」医師の厳しい言葉に…僕が初めて「自閉症」と向き合った日】
yomidr.yomiuri.co.jp/article/20200127-OYTET50055/より
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「お父さん、これは個性だと思いますか?」
向かい合った医師からそう言われ、反応できなかった。一瞬、問いの真意がわからなかったのだ。
「個性……と思いますが」
「これは個性ではありません。専門家なら見まがうことはない。息子さんは自閉症です」
当の本人は、床に並べた玩具をひたすらいじっている。妻の胸に抱かれた次男がぐずり始めた。
「個性ではない。障害です」医師の厳しい言葉に…僕が初めて「自閉症」と向き合った日
単語が二語文にならず
区役所の保健所(当時)に呼び出されたのは、長男・洋介(仮名)の3歳児健診の後、1996年の冬のことだ。
言葉が遅いこと、単語は多く発するが、いっこうに二語文になっていかないことが、通常の発達と違っていることは感じていた。
公園に行っても、他の子と遊ぶことはなく、すべり台ばかりを何時間も、日が暮れるまですべり続けた。
当時は、「自閉症スペクトラム」という言葉が、ようやく聞かれ始めた頃。いくつかあった専門書を読んだが、自閉の特徴の中には、わが子には当てはまらないことも多くあった。
例えば、「視線が合わない」とか。
ときおり、きらめくように言葉を発することもあって、「障害」はまだ、僕ら夫婦にとって現実の問題とはなっていなかったのだ。
「弟がすぐに追い抜く」と
だから、保健所から呼ばれたときにも、発達に関して相談をする程度に思っていた。部屋に入ると、精神科医とだけ名乗った医師とカウンセラーが並んでいた。
そして、始まってすぐに突然落ちてきたのは、その医師の言葉だった。
両親のただならぬ気配を感じ取ったのか、ちょうど1歳になる次男が泣き始めた。すると、医師はこう言った。
「今に、この子が追い抜いてしまいますよ」
心の準備がなかった妻が、泣き始めた。僕はといえば、なぜか顔は笑っていた。
不思議なことに、笑いが止められなくなっていた。周りからどう見えているんだろう、おかしな親と思われるんじゃないか……と思っても、それは止められなかった。
後に、「笑い」をテーマに取材をしたとき、ある大学の先生から教わった。
人は予想を超えた衝撃を受けると、笑うことがあるという。
「笑うしかない」というのは、そうしなければ自分を支えられないからなのだろうか。どんなに引きつった醜い笑みだったとしても、あの日の僕は。
泣く妻 跳びはねる息子
「個性ではない。障害です」医師の厳しい言葉に…僕が初めて「自閉症」と向き合った日
千葉の郡部に引っ越すことが決まっていた僕らに、
「(大都市の)ここなら様々な支援が受けられますが、引っ越した先には何もありませんよ。覚悟してください」
という言葉が追い打ちをかけた。
まだ泣いている妻と、傍らで上機嫌にぴょんぴょん跳びはねている長男を連れて、区役所からのバスを待った。
バスはなかなか来なかった。真っ青に晴れ上がった空に風景がこびりついて、まるで油絵だと思った。
ようやく来たバスで駅に行き、そこで別れた。僕はその足で職場へと向かったのだ。
いつもより遅い時間の都心へ向かう列車はすいていて、僕はぼんやりと座っていた。特段、悲しいとも、つらいとも思わなかった。
ただ、それまではかわいいだけだった息子とのいろんな思い出や、他人の言葉や、漠然とした考えが、意識を出たり入ったりした。
無意識のうちに涙が
40分ほどたって、職場に最寄りの水天宮前駅が近づいた。当時は、そこが地下鉄の終点だった。心の中は空白に近かった。
だけど、気がつけば、両目からは涙がボロボロと流れ出ていた。他の乗客が 怪け訝げん な顔でこちらを見ている。
人はおかしいから笑うのでなければ、悲しいから泣くのでもない。ただ、あふれ出るのだと知った。
医師の厳しい言葉は、現実を見ない若い両親の目を覚まさせるためだったのだろうか。 思えば、僕と息子の歴史は、この日、始まったのだ。
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yomidr.yomiuri.co.jp/column/umezaki-masanao/page/3/
おわり
#発達障害 #自閉症 #こだわり #パニック #グレーゾーン #自閉症スペクトラム #立石美津子
コメント欄は過去に便所の落書き状態になったので閉鎖しています。
カテゴリー:正直なつぶやき